ピアノ教室

千葉/美浜区のピアノ教室





千葉県千葉市美浜区のピアノ教室













☆ピアノのレッスンを通して子供を育てる

子供は様々な可能性に満ち溢れています。その可能性を引き出し、社会的に優秀な人材を育てることが指導者の役目だと考えております。私は単にピアノが弾けるようになることがピアノのレッスンだとは思っておりません。音楽を通して、生徒自身が何らかの「志」をもって人生を歩む為に、生徒の活動を活性化・支援していきたいと考えております。ですから、ある程度ピアノを弾けるようになることで、ピアノの練習のみを長時間行うのではなく、歴史、哲学、数学、科学・・・など音楽以外のあらゆる分野に興味を抱き、本を読み、美術館へ足を向け、感性を鋭敏に育てることが大切です。演奏というものは、自らの精神面が反映される芸術ですので、人間的に豊かでなければ幾ら努力しても良い演奏にはなりません。視野を広く、バランス良く学んで自らのものとし、豊かな日々を送って頂きたいと願っております。音楽だけ出来ればよいという独りよがりな考え方ではなく、現代の国際社会の一員としてグローバルな視野を身につけ、常に社会的にアプローチできる人間、音楽家を育てていくことが重要だと思っております。


☆音楽的な演奏を

良く音を聴いて演奏できている時こそが、、最も音楽を感じさせるものです。つまり、音楽を感じさせる演奏とは、自らの音を良く聴き取っているという事でもあります。ピアノ曲は膨大な量の音符を解釈し演奏しなければなりませんが、作曲家の意思で綴られた音一つ一つを、最も良い音楽的な響きを意識し、考えることが重要です。そして、その試行錯誤を積み重ね、考え、感じ、美しさを追求することが音楽的と言えます。一音一音の前後や曲全体のバランスも頭に入れながら、楽曲に散りばめられた音一つ一つを次の音へ響かせ繋いでいくレガート奏法・・・・私が海外の先生方から指導を受け、様々な研究や勉強を通して、最も美しく理想と思える奏法の一つです。この奏法は、特に海外一流演奏家たちが用いているものであり、マルタ・アルゲリッチやリヒテル、キーシンやホロヴィッツ、ポピュラー界ではリチャード・クレイダーマンなどが多用しています。
しかし、残念ながらこの奏法は日本では余り普及しておりません。一昔前の、指を高く上げて弾く奏法では、音の響きがなくなってしまう奏法で、音色感を出すのは少し難しいのが現実です。良い音を響かせる為に、手首の柔軟性と脱力を習得した上で、指先の力ではなく、腕の重みを利用し、音色感のある演奏が出来るようレッスンをしています。ピアノの音を空間一杯に広がるように響かせる=人の心に響くような美しい音色の音楽表現を目指しています。


☆音楽への思いと捉え方

バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ショパン・・・誰もが知っている音楽家達であり、必ず誰もが耳にした事のある楽曲を創った人たちでもあります。これからピアノを弾こうと思われている、もしくはお子様にピアノを習わされることをお考えの親御さんたちも、これら後世に残る楽曲を創造した偉大な作曲家たちへの憧れは、何らかの形で必ずお持ちのはずです。そして演奏してみたい・・・・
私も幼いころ、ベートーベンに恋焦がれ朝から晩までレコードに聴き入った記憶があります。その情熱が未だに私の中へ蓄積され続け、偉大な作曲家たちへの敬意と尊敬の念が今日の演奏活動や教育活動を支えております。
ここで、私が作曲家たちへ抱いている敬意や尊敬の念についてスポットを当ててみたいと思いますが、ただ良い曲を後世へ残すことが出来たから、たったそれだけの理由で敬意や尊敬の念を維持し続けているのでしょうか?
いいえ違います。彼らの哲学や音楽への情熱、そして知的物事への追求心など、一人間としても何かをやり遂げていく姿勢というものには感銘を覚えます。つまり、音楽を勉強するということは、その作曲家の生きた時代的背景、文化的な色合い、そして強いては哲学さえも理解し、一音一音に込められた彼らの思いや情熱に触れるということでもあります。そして現代社会に生きる私たちにとっては、深い理解の下どのような形で当時の素晴らしき音楽家たちへアプローチできるかがネックとなります。
偉大な作曲家たちの作品を勉強し演奏していくことは、数世紀にわたる文化、哲学、思想や伝統に触れ次の世代へ受け継いでいくことでもあると考えています。
たとえ小さなお子さんであっても演奏するという行為そのものが既に演奏芸術を継承していく姿と言っても過言ではないと思います。


☆感じる心と音楽の楽しみ

どんな楽曲にも芸術的な意味や内容が込められています。
それを理解し頭の中でイメージしたものを音として表現することが演奏であると考えています。
ですから単に指の動きが俊敏であるとか、単に強弱をしっかりつけてミスの無いよう、楽譜通りに弾くことが良い演奏とは言えません。芸術というものは、機械的な物や数学的な物のみでは片付けることが出来なく、何と言っても音楽を感じる心、感性そのものが最も重要であるからです。
そして、”音楽”という文字を見てみれば、”音”を”楽しむ”と書きます。楽しくない音楽は、ただ音が羅列された雑音であり、音を構成する楽曲と評価することが出来ません。メソッドにおける基礎は確かに必要ではありますが、それ以上にピアノを弾く歓びや偉大な作曲家たちの生きた時代、そして文化を感じ取りながら楽しむことが最も重要です。また、芸術は音楽のみに関連しておらず、ベートーベンやシューベルトは同世代の詩人(ドイツ)、ゲーテの詩から多くのインスピレーションを吸収し、楽曲を完成させていますし、ドビュッシーの”海”という曲は、葛飾北斎の”神奈川沖浪裏”という絵画をインスピレーションとしています。相互に絡み合う芸術は、現代の人間たちにとっては正にロマンと言えるのではないでしょうか。
ですから私は、小さなお子さんにも作曲家たちの人生や考え方、どういう背景で楽曲が創られ、どういう思いでその作品の中に音がちりばめられたのかを理解できるよう本や冊子において説明をします。そうすると、あまりに有名すぎて平凡に聴こえていた曲に、色が付き、風景が見え、作曲家の意思を感じられるようになります。私は、ピアノを弾かれる方たちが感動の中で音楽に触れて頂く為の助け手であり、真に素晴らしい作品を更なる理解の下で生き生きと楽しんで頂く為の案内役であるとも思っております。


☆ピアノ演奏で、音色を創るという考え方

ピアノ演奏において、芸術的表現と共に音楽的に正しく弾くことが重要であり、音楽的に豊かな表現をするための手段として技術が必要になります。”英語の<テクニック(技術)>という言葉はギリシャ語の<テクネー>という言葉から出ています。ところがギリシャ語の<テフネ>は芸術をも意味します。どのような形で技術を改善しようと、それは芸術そのものを磨き上げていくことに他ならないということです。”
   〜ゲンリッヒ・ネイガウス(モスクワ音楽院名教授)著:ピアノ演奏芸術より一部抜粋〜
つまり、芸術作品を演奏するための技術であり、技術のための技術ではないと言えます。演奏のために習得すべきものは様々ですが、その中でも音色の追求もその一つに挙げられます。ピアノという楽器は鍵盤を押さえれば、誰にでもすぐ音が出せる楽器です。しかし他の楽器はそう簡単にはいきません。ヴァイオリンでも、フルートでもまず音を作ることが難しい楽器です。もっと分かり易いもので例えるならば、歌を歌うときもやはり発声が最も重要です。ピアノには発声、もしくは音色を創るという考え方は存在しないのでしょうか?
いいえ、存在します。意外と一般的には意識が低いですが、ピアノでも音作りという概念が重要です。単に音を発するというのではなく、”音を創作する”という考え方です。音色が個々に違うからこそ、様々なピアニストが存在する意義が生まれますし、個性というものも生まれてきます。実際クラシック音楽ほど、個性や自由度の高い音楽形態は存在しないと言われています。英語のクラシックとは”昔”や”古い”という意味を持ちますが、昔から伝えられてきた音楽を楽譜として理解し、再現音楽として演奏するのみであれば自動演奏でも構わない訳です。しかし、”人”という感情の持ち主が、その楽譜や作曲家をどう理解し、どう演奏し、どうピアノを発声させるか(豊かに響かせるか)によって全く別物の音楽が形成されます。この世界観は非常に面白く、ただ堅苦しいと思われているピアノ音楽とは全く違い、音を追及する歓びと楽しさを知ることが出来ます。
演奏における音色の違いを感じ、その違いを生む根拠を生徒さんたちと共に考え、様々なピアニストたちの演奏に触れてもらいたいと考えております。